大乗非仏説論の無責任― ある一例2021年07月16日 10:09

 「創価学会考察サイト」 なるホームページがあります。
 もちろん、創価学会批判のサイトです。
 創価学会の実態についての記事は、よく真実を述べています。
 しかし、ここで一ヵ所、最大の誤りを記してしまいました。
 法華経についての結論・大乗非仏説 です。

 この方は、仏法の信者でもなければ、僧侶でもないから、自分の書いた記事の結論を大した問題でもないと判断しているでしょう。
 が、これは世界史を覆す重大誤認識・欠陥主張です。
 下に、その部分を引用しておきます。

*『 ①「世界最高の仏法」の根拠が崩壊している創価学会
 創価学会は日蓮を本仏として崇め、その日蓮が「釈尊が説いた諸経の中で最高に正しい経典」と定めた法華経を所依の経典とし、法華経や日蓮仏法を信心しなければ謗法の罪で地獄に堕ちると主張して勢力拡大してきたが、そもそも、その日蓮が最高の法とした法華経は近代の仏教学によって、仏教の開祖・釈尊が説いたものではなく、
釈尊滅後500年以後に起きた大乗仏教運動の中で、後世の人々によって作られた諸大乗経典の中の1つである事が判明しているのである。
 よって、法華経は釈尊の「出世の本懐」の正法でも何でもない、後世の創作経典でしかないのであり、故にそのような法華経を信じなかったからといって謗法の罪で地獄に堕ちる事もないし、法華経を信じたからといって絶対的幸福境涯が保証される訳でもないのは言うまでもない事であり、その法華経を基にして自説を立てた日蓮の思想も「末法の正法」ではなく、それを信じなかったからといって謗法の罪にもならない事は言うまでもない事である。

このように、今では法華経と日蓮仏法の正しさの根拠はすでに崩壊しているのであり、その法華経と日蓮仏法を基にしている創価学会の正しさの根拠もすでに崩壊しているのである。』 *

 創価学会を批判・否定するのは構いませんが、大乗経典・大乗仏教まで否定してはいけません。

 ”そもそも、その日蓮が最高の法とした法華経は近代の仏教学によって、仏教の開祖・釈尊が説いたものではなく、釈尊滅後500年以後に起きた大乗仏教運動の中で、後世の人々によって作られた諸大乗経典の中の1つである事が判明している”

 ”近代の仏教学” とは何ですか?
 どんな学問ですか?
 主に誰が述べていますか?
 
 あなたは、どの程度調べ、研究し、学んだのですか?
 誰の指導を受けたのですか?
 ”仏教学” と言う以上、あるレベルの学問体系が存在するのでしょう。
 
 日蓮大聖人は、次のように仰せです。

「当世の習い損ないの学者、夢にも知らざる法門也... 」 と。

 それでも、ここで云われた ”学者” は、当世の著名な僧侶です。
 比叡山に登り、何年も研鑽・修行に励み、多数の仏典を読みあさり思索に耽った仏教界の英俊達です。

 英国のアジア研究の考古学者・言語学者が、発掘してきたサンスクリット原典のかけらから導き出した推論と比較など、とんでもない話です。

 ”釈尊滅後500年以後に起きた大乗仏教運動の中で、後世の人々によって作られた諸大乗経典... ”

 「華厳経」 名前は多くの方が知っているでしょう。
 代表的な大乗経典です。
 奈良・東大寺 は、日本の華厳宗の本山です。
 安置されている仏・本尊は 『盧舎那仏』 です。 
 盧舎那仏の周囲には、無数の諸仏を代表して、何体かの仏がとり囲んでいます。

 ”大方広仏華厳経” は、非常に大部の編集です。
 東晉天竺三藏佛馱跋陀羅 の漢訳経典では、60巻(六十華厳) となっています。
 釈迦滅後、多くの仏典(経蔵)が文字化され僧侶のもとで保存された。それらは、仏法東漸の宿命によって西域諸国へと渡り、”大方広仏華厳経” は、4世紀頃に中央アジア(西域)で編集されたようです。
 サンスクリット原典として残っているのは、初期に作られた「十地品(じゅうじぼん)」と「入法界品(にゅうほっかいぼん)」の二つです。

 以上のように、多くの仏弟子によって編集された大乗経典ですが、決して創作ではありません。
 何千、何万もの僧侶達によって、精査されて完成したものです。
 たとえ一部の仏典でも、勉強すれば分かります。
 天才的な文才を持った者であっても、そんな簡単に、私小説を書くように創作できる類のものとは違います。
 全て、100年、200年、300年... と歴史を遡っての精査を必要とします。一人の作業ではありません。何十人、何百人の作業でしょう。
 仏法を求める時の支配者・権力者の庇護も必要としたでしょう。
 我流の創作など、瞬く間に排斥されます。

 法華経は、釈迦が最後の8年間をかけて説いたとされています。
 もし、それが後世の創作だと言うのであれば、釈迦の行動を調べることです。
 70歳を超えてから80歳までの釈迦の行跡に、法華経説法に矛盾する活動が出てくれば、一目両全に証明できるのでしょうが... 

 もし、その様な事があれば、とうに日の目を見ていることでしょう。

 ”法華経非仏説・誰かの創作” と、信じて声を挙げる方。
 
 あまりにも軽々薄々です。浅はかです。
 以後、慎んでください!

大乗非仏説論の無責任2021年07月12日 19:22

 仏教は、他の世界宗教と違って仏・目覚めた人・覚者、つまりは人間が説いた法です。
 地球(娑婆世界)では、釈迦です。
 因みに西方浄土世界では、阿弥陀仏になります。
 宇宙には、無数の世界がありますから、そこで法を悟り、衆生に説かれる仏もまた無数になります。
 現在すら無数ですから、無限の過去に遡れば、文字通り無数です。
 釈迦は、紀元前5世紀~6世紀の人間です。
 一般に、30歳成道、80歳入滅とあって、約50年間の説法となります。
 当時は、まだ、文字が不確定な状況の為、経典としては成立していません。弟子、聴衆を前にして説かれた教えは、そのまま暗誦されて伝えられました。
 釈迦が入滅されて、直ぐに、弟子の長老が中心となって暗誦された言葉の確認作業が行われました。
 アジャセ王が守護するなかでの、第1回仏典結集です。
 此の時の言語は、ほとんどがパーリー語とされています。
 ただし、まだ文字化はされていません。
 暗誦する弟子達を選定して、後に伝える役割と方法を決定したのでしょう。
 経と律の二つの部類で、完璧を期してなされたようです。
 勿論、直接的な証明は、20世紀、21世紀の学術を駆使しても不可能な事です。
 しかし、時をどんどん遡れば、文字が整備され、サンスクリット原典などが残されていますから、かなり鮮明に分かってきます。
 しかし、仏法は、東漸して、東アジア・中国、朝鮮、日本まで渉ってきます。
 インドシナ半島には、仏法の一部が、そして日本には大部分が伝えられます。
 今日の日本の仏教の形態をみれば、自ずと理解できます。
 残念な事は、発祥の地・インドでは、仏法は早々に廃れますから、おそらく、多くのサンスクリット原典が消失していったと思われます。
 逆に、幸いな事に、後にシルクロードと呼ばれる西域のオアシス国家に伝わった仏教は、紀元前後の後漢に入ってきます。
 そして、400年頃には、鳩摩羅什によって、後秦の姚興の庇護の下で、都・長安にて、約300巻の仏典の翻訳作業が行われます。
 主な経典は、『仏説阿弥陀経』1巻、『摩訶般若波羅蜜経』27巻(30巻)、『妙法蓮華経』8巻、『維摩経』3巻
 また、論蔵では、『大智度論』10巻、『中論』4巻 などとされています。
 さらに唐代には、玄奘が、629年に陸路でインドに向かい、巡礼や仏教研究を行って645年に経典657部や仏像などを持って帰還します。彼が生前に完成させた経典の翻訳の数は、経典群の中核とされる『大般若経』16部600巻(漢字にして約480万字)を含め76部1347巻(漢字にして約1100万字)に及ぶとされています。
 仏教、特に大乗経典とされる主要な仏典は、中国で漢訳されたのです。
 多くの仏教信者・僧侶が、西域から中国へ、また、中国から西域・インドへと渡り、仏法を伝えたのです。
 釈迦滅後、おそらく数百年の間は、多くのパーリー語、あるいはサンスクリット語の原典・写本が存在していたはずです。
 また、その間、数度の仏典結集が行われ、その精度を維持する作業が行われました。
 しかし、2500年以上も経た今日、現地に当時の原典を探し求める事は、その一端はつきとめる事はできたとしても、例えるなら「群盲象を撫ず」 の結果しか得られないでしょう。
 その結果を根拠にして、大乗非仏説などと声高に主張しても、空しく響くだけです。
 しかし、大乗非仏説論者の一番の誤りは、彼らの殆どが、学者・研究者ではあっても、仏法信者、あるいは、僧侶ではない事です。
 これまでに説明してきた古の仏典の結集の参加者は、信者であり僧侶です。
 また、経典を毎日読誦し、数多くの仏典を研鑽した僧侶です。
 我説や我見を述べれば、それが仏説に違背すると多くの者が見なせば、たちまち議論の渦が湧き上ったでしょう。
 2500年という長い年月、その様な議論の末に精査されて今日があるのです。
 大乗非仏説論は、この日本の、仏法に暗い多くの大衆を煽り、仏法から離れさせる魔の所業と思われます。
 あなたは、誰ですか?

仏が教える唯一の悟り2021年06月25日 20:02

 「過去遠々劫」 から 「現在」 に至るまでの自分の命
 もちろん、生と死を繰り返しますから、死の時間がどれくらい?で、生の時間は?
 現在の生の時間は、分かりますが、過去世については、ほとんどの人は不明でしょう。
 死の時間は、これはあまり考える必要はないと思います。
 完全に命の眠りの状態・妙伏、自我が、宇宙と同化した状態ですから、時間は無いのです。
 だから、過去世において、生きていた記憶が、昨日の事のように有れば、それはもう、文殊師利菩薩 と同格で、仏の悟りを得ていることになります。
 過去世に於いて然り、現在も然り、であれば又、未来も然りです。
永遠の生命を実感している訳ですから、現在の生に些細な執着など持つ事もないでしょう。
 重要な事については、当然執着します。
 一大事因縁の為に、仏と共に、今の世に生を受けたのですから、なすべき事は明確です。
 そして、その為の苦労は膨大です。
 今、生きている人々が、皆、それぞれの自我は永遠に生死を繰り返す事を知ってもらう・・・、信じてもらう事を願い、そのために努力する。

 今現在、この地球上に、約70億の人々がいます。
 しかし、安穏に暮らしている人、どれくらいいるでしょうか?
 ほんの一握りです。
 そして、日本みたいに、殆どの人が、明日も安心に迎えられる暮らしを送る事が出来る国は、ほんの僅かです。
 これが現在の地球の現実です。
 苦しくて不安の連続の現実が終わる事なく続き、そして、過去遠々劫を積み重ねることになります。

 それを解決する為に、私達は、仏法を弘めましょう!

末法万年尽未来際2021年06月19日 19:13

時を尋ねれば 「闘諍言訟白法隠没」 の時。
太平洋戦争でアメリカに完全敗北し、明治以降敗戦まで、仏教を虐げ続けた日本国政府・権力は、当に仏法の予言する姿を現出しました。

 爾来七十有余年、日本政治は、現在も悲しい惨状を呈し続けています。過去の怨霊・亡霊に執りつかれているかの如き右傾化です。

 しかし、末法万年、尽未来際 です。
 まだ、始まったばかりなのでしょう。
 仏法の時間単位は長いのです。五百年単位です。

 戦後、創価教育学会が生まれ、創価学会として、富士大石寺隆盛の力となった事は、二十世紀を記録するに相応しい一大事であることは間違いありません。
 
 しかし、現在は見る影もなく、変質し、衰退の一途を辿っています。
 絶対的な存在であった、第三代会長も、現在の状態すら不明のまま、数年を経過しています。

 これからどうなるのやら・・・

 でも、気に掛ける事もないのです。
 22世紀を目指すならば、着実に一歩一歩進むことです。

 十年もすれば、ひょっとしたら、新しいリーダーが、再生の火をつけるかもしれません。
 
 正しく仏法を学んで、再び過ちを犯す事なく、宗門の出家詐称の誤りも、堂々と正して、理想的な宗教活動を復活させるはずです。

 それが、遠く妙道に沾​わん日本なのですから。
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22世紀に向けた仏法流布・宗教運動のあり方を考えます。

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